京都の銀座

銀座4丁目は京都で始まった。
「ご住所はどちらです?」「へい、銀座どす。伏見区銀座4丁目・・・」
銀座といえば誰もが東京のネオン街銀座を思い浮かべるが実はその発祥地は京都にあったのである。
そうなんです、伏見に銀座があるんです。伏見の銀座は1丁目から4丁目まで京阪伏見桃山駅の西両替町通りに沿って存在する。1601年関が原の戦いで勝利を収めた徳川家康は伏見城に入りここに日本最初にして全国統一の銀貨を作ろうと鋳造所を設けた。これが「伏見銀座」、すなわち銀座発祥の地であり、日本金融史のルーツということになる。
伏見銀座には秀吉の時代から堺で銀吹きをしていた銀商人大黒常是(だいこくじょうぜ)の一族と末吉勘兵衛、後藤庄右衛門らを呼びよせて両替町通り5丁目から8丁目までの4町に屋敷を与えた。だから今でも両替町の5丁目から8丁目までは欠番である。しかし伏見銀座はたった7年間でその後は洛中に移された。伏見銀座から京都銀座へ。

移転先は現在の中京区烏丸通一筋西の皆様ご存知の両替町通りである。この頃と同時に家康の居所である駿府(静岡県)にも銀座を設けこれが後に江戸に移された。江戸時代このあたりは銀吹所、金吹所と呼ばれる鋳造所、金銀貨を発行する役所、両替所それらにかかわるものの屋敷が立ち並び元禄時代には巨万の富が京都銀座に集まり豪奢な生活ぶりは「両替町風」と呼ばれるほどであったという。この時代中でも知られるのは銀座年寄りの中村内蔵助をパトロンにした尾形光琳である。
銀座役人にもたらされた財力が光琳の芸術活動を支えた。
今でも二条付近には「金吹町」という町名も残っているほどである。
もし近くを通られましたら石碑などをご覧ください。

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